Home / 恋愛 / シャープペンシルより愛をこめて。 / 4・縮まる距離、そして元カレとの再会 Page3

Share

4・縮まる距離、そして元カレとの再会 Page3

last update Last Updated: 2025-03-06 14:54:49

「――はい、どうぞ」

「ああ、すみません。頂きます」

 グラスを受け取った原口さんは、よっぽど喉が渇いていたのか、一気にグビグビと半分くらい飲んでしまった。

「――そういえば先生。僕、酔っ払ってる間の記憶がほとんどないんですけど。先生に何か失礼なこと言ってませんでした?」

 一度グラスを置いた彼は、決まり悪そうに私に訊ねる。彼にしてみれば、記憶がなくなるほど酔ってしまったこと自体、私に対して失礼だと思っているんだろう。

「いえ、失礼なことなんて何も……。ただ、バリバリ関西弁にはなってましたけど」

 私はそう答えてから、フフフッと笑った。

 そして失礼ではない(むしろ私は嬉しい)けど、彼は私のことを「べっぴんさん」とも言ってくれた。でも本人は覚えていないようなので、これは私の胸の内だけに収(おさ)めておこう。

「そうですか……。またやっちまった……」

 はぁ~っとため息をつき、原口さんはガックリとうなだれた。余談(よだん)だけれど、彼の関西弁はすっかり抜けて標準語に戻っている。もうすっかり酔いは醒めているらしい。

「先生も、引きました? 僕の関西弁」

「引きません。ってさっきも言いました」

「……はあ」

 彼はそれも覚えていないらしい。

「ねえ原口さん。酔い始めてからどのあたりまで覚えてますか?」

 原口さんは小首を傾げ、必死に自分の記憶を辿り始めた。

「えーーっと……、確か、先生と井上さんがどうして別れたのかというあたりまでは」

「はあ、そうですか……。なるほどね」

 私は納得(なっとく)した。私の記憶でも、確か彼はその話の途中から関西弁になっていたように思うから。

 じゃあ、その後に私が「原口さんの関西弁は好き」って言ったことも、彼は覚えていないのか……。――私も麦茶に口をつけた。

「私ね、その時に言ったんですよ。『原口さんの関西弁は引かない。むしろ好きだ』って。――覚えてないならいいです」

 誤解のないように、〝好き〟は嫌いか好きかの〝好き〟だと補足することも忘れない。

「そういう意味の〝好き〟だったら、僕にもありますよ」

「……え?」

 原口さん、それはどういう意味? ――私は彼の次の言葉を待った。

「先生が直筆で書かれる小説、僕は大好きなんです。編集者の役得(やくとく)ですよね、これって」

「ああー……」

 そっちか。そっちね。――私はちょっとだけ肩を落と
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Related chapters

  • シャープペンシルより愛をこめて。   4・縮まる距離、そして元カレとの再会 Page4

    「内容はもちろんですけど、先生の原稿そのものから勢いというか、パワーみたいなものを感じるんです。『書くのが楽しい!』っていうのがガツンと伝わってくる」「へぇー、そうですか……。それはどうも」 彼の熱弁には若干(じゃっかん)引いたけど、正直私は嬉しかった。私の小説を一番愛してくれているのは原口さん。――それが本当だったんだと分かったから。 たとえ私自身のことを「好き」って言ってくれたんじゃなくても、好きな人の口からその言葉が出ただけで嬉しいやら照れ臭いやらでなんかむず痒(がゆ)い。「でも、パソコンの練習してるってあれ、本当だったんですね」「はい。……って、信じてなかったの!?」 私は思わず飲んでいた麦茶を噴(ふ)きそうになった。敬語も抜けちゃったけど、今はそれどころじゃない!「信じてましたけど。執筆のためにじゃないなら、僕はタッチすべきじゃないかと思ったんで」「…………」 これを優しさと取るか、冷たく突き放(はな)されたと取るか。私は反応に困った。「編集者としてはやっぱり、うるさく言うべきなんでしょうね。作家の将来のためだ、って。――でも、僕個人としては、先生には今のままでいてほしいんです」 今のまま。――背伸びせず、ムリをしないで、ってことなのかな?「だから、アルバイトのためにパソコンの練習をしてると聞いて、先生がムリなさってるんじゃないかと思って心配だったんです」「〝心配〟って……。でも、私にとっては必要なことなんです」 私はつい、原口さんにグチっていた。「私、まだパソコンに慣れてないからバイト先でいつも周りの人に迷惑かけてるんです。今日だって、お客様にお時間取らせちゃったし」「そうですか……。それで今日、ちょっと元気がなかったんですね」「えっ、気づいてたんですか?」 私は心底(しんそこ)驚(おどろ)いた。――この人、私のことをよく見てるなあ。まだ二年ちょっとの付き合いなのに、私のほんの些細(ささい)な変化も見逃(のが)さないなんて……。「はい。先生ほど表情がコロコロ変わる人はいませんから」「ああ……、そういうことか」 やっぱり私って分かりやすいらしい。 ちなみに今、このリビングはナツメ球の灯りだけで薄暗(うすぐら)いので、きっと彼には見えていない。一緒に麦茶を飲んでいるこの十数分間にもコロコロ変化していた私の表情が。

    Last Updated : 2025-03-06
  • シャープペンシルより愛をこめて。   4・縮まる距離、そして元カレとの再会 Page5

    「……で! 話戻しますけど、私が夜(よ)な夜なパソコンの練習をしてるのは、店長やバイト仲間に迷惑をかけないようになりたいからなんです。アルバイトだって、仕事である以上いい加減な気持ちでやりたくな……っクシュンっ!」 言い終わらないうちに、私は盛大なくしゃみをしてしまった。……やば、湯冷(ざ)めしたかな?「大丈夫ですか?」「あー、はい。さっきシャワー浴びたから、ちょっと冷えたかなーって。――あっ、大丈夫です! 私、これくらいじゃ風邪引きませんから」「……そう言われても、心配になりますよ。湯上がりにそんな短パン姿でいられたら」「はうっ!?」 私の心臓が跳(は)ねた。どうしてこの人、この薄暗い中でそんなことまで分かっちゃうの!? ――まあ、「湯上がり」ってことは、シャンプーやボディーソープの香りで分かったんだろうけど(私自身も言ったし)。短パン穿(は)いてることまでは分からないと思ったのに。「原口さんっ!? み……み……見えてるんですか!?」 まさかネコじゃあるまいし、と心の中でセルフツッコミを入れたけれど。「えっ、本当に穿いてるんですか?」「はあ?」 なんだ、ただカマをかけられただけか。「見えてませんよ。見えてたら、僕は平常心を保(たも)っていられなくなります」「…………えっ?」 私は目をしばたたかせる。――それはつまり、理性が利(き)かなくなるってことだろうか?「僕も一応その……、男なんで」 もしかして原口さん,赤くなってる? 薄暗くて見えないのが残念。 そういえば、琴音先生にもこないだ言われたっけなあ。『ナミちゃんだって十分可愛いし魅力的よ』って。自分ではあんまり自信なかったけど……。 ――それにしても、このシチュエーションってなんか……アレじゃない? 薄暗い部屋に、男女二人っきり。映画とか小説とかだと、この流れでキスとかまで行っちゃいそうな感じなんだけど……。「――巻田先生」「はっ、ハイっ!」 唐突に名前を呼ばれ、私の心臓がまた跳ねた。と同時に、ついつい期待してしまう。 原口さんは一体、どんなふうに私にキスしてくれるんだろう、って。――まだ付き合っているわけでもないのに……。 ――ところが。「明日、バイトは? 日曜ですけど」「…………へ? ああ、あの。出勤です」 そんな私に彼から投げかけられたのは、何とも色気の

    Last Updated : 2025-03-06
  • シャープペンシルより愛をこめて。   4・縮まる距離、そして元カレとの再会 Page6

     再びソファーに横になった原口さんに毛布をかけてあげると、私は自分が使っていた分のグラスもお盆に載せてキッチンの流しまで持っていき、キチンと洗いものを片付けてから部屋に戻った。 時刻は十一時半。ベッドに潜(もぐ)り込んだけれど、ドキドキしていてなかなか寝付けない。 ――さっきは期待して損した。でも……、彼は優しくて真面目(マジメ)な人だ。 酔い潰れていても、決して狼(おおかみ)にはならなかった。むしろ、「泊まるなんてとんでもないです!」と遠慮していたほど、彼は紳士(ジェントルマン)だ。 彼ならきっと、恋人になっても私のことを大事にしてくれる。潤(アイツ)みたいに非情(ひじょう)な選択を迫ったりしないだろう。「……あー、明日もバイトだ。早く寝なきゃいけないのに……」 何度か寝返りを打っているうちに、すっかり疲れ切っていた私はいつの間にかストンと眠りに落ちていた――。   * * * * ――翌朝。熟睡というほどの熟睡はできなかったけれど、私は何とか朝七時に目を覚(さ)ました。 それは決して、リビングで眠っていた原口さんのイビキがうるさかったから……ではなく。「好きな人が一つ屋根の下にいる」という状況と二年も離れていたから、久々に味わうスリリングな夜に馴染(なじ)めなかったせいである。 ただ、私は基本的に朝には強い(ただし、締め切り明けには必ず撃沈(げきちん)している)。バイトの出勤日には、たとえ前の夜にお酒を飲んでいてもちゃんと朝早く起きられるのだ。 洗顔と身支度を済ませ、今いるのはキッチン。二日酔いになっているだろう原口さんのために、私の朝ゴハンも兼ねてシジミ入りのお味噌汁を作っているところだ。「――うん、上出来」 味見をして、会心の出来に満足して頷く。ちゃんとお出汁(だし)がきいていて、お味噌の味も濃(こ)すぎず薄すぎずちょうどいい。 キッチンからは、原口さんが寝ているリビングが丸見えだ。 ここまで来る時、私は彼を起こさないよう細心(さいしん)の注意を払った。……まあどのみち、二日酔いで撃沈している彼のことだから、そう簡単に目を覚まさないとは思うけれど。 ――余談だけれど、サラリーマンである私の父もお酒に弱くて、母がよく二日酔いの父のためにこうしてシジミ汁を作ってあげている。……多分、今も。 アルコールが苦手でもお酒の席には付き

    Last Updated : 2025-03-06
  • シャープペンシルより愛をこめて。   4・縮まる距離、そして元カレとの再会 Page7

     昨夜、原口さんは部屋が薄暗くて私の姿が見えなかったから、どうにか理性を保てていられたらしい。 じゃあ、もし部屋がもっと明るくて、私の格好がよく見えていたらどうなっていたんだろう? 私はショートパンツ姿で、ナマ足を惜(お)し気(げ)もなく(?)披露(ひろう)していたし、胸だってけっこうグラマーな方だと自負(じふ)している。 それに、湯上がりだったからいい香りもしていただろうし。 数週間前の朝、私の寝起き姿を見た時だって、彼は落ち着かない様子だった。もしかしたら、本当にキスどころか一線を越えてしまっていたかもしれない。「いやいやいやいや! ないない」 だって、あの原口さんだもん。優しいけど生真面目(キマジメ)。そんな彼が、理性を失って豹変(ひょうへん)するなんて想像がつかないのだ。「…………考えるの、やめとこ」 もう一度ため息をついて、私は暴走しがちな思考を打ち切った。「――おはようございます」 刻み終えたお漬けものを小鉢(こばち)に盛り付けている間に、原口さんが起きてきた。「あ、おはようございます」「昨夜はご迷惑かけてすみませんでした」「いえ、別に迷惑だなんて……。――あ、ソファー、寝づらかったんじゃないですか?」 しきりに首の後ろをさすっている彼に、私は訊いてみた。「あー……、はい。ちょっと首が……」「やっぱり?」 ウチのソファーで寝た者の、当然の結果である。しかも、彼は長身なのにムリな体勢で寝ていたからなおさらだろう。「あと、頭も痛くて……。二日酔いかな」「……はあ」 それは知らんがな。弱いのに潰れるまで飲んだんだから、自業自得だろうに。 とはいえ、シジミのお味噌汁を作ったのは正解だったみたい。「朝ゴハン、食べて行かれますか? シジミ汁と白菜のお漬けものですけど」「ああ……、どうりでさっきからいい匂(にお)いがするわけだ。ありがとうございます。頂きます」 原口さん、食欲はあるみたい。私もホッとした。「じゃ、今から支度するんで、その間に洗面所で顔を洗ってきて下さい。――あっ、玉子焼きか何か作ります?」 朝ゴハンとはいえ、男性はそれだけじゃもの足りないんじゃないだろうか?「いえ、大丈夫です。二日酔いの胃には重いので。――じゃ、顔洗ってきます」 彼が洗面所に行くと、私はテーブルの上を整えながら反省した。 考え

    Last Updated : 2025-03-06
  • シャープペンシルより愛をこめて。   4・縮まる距離、そして元カレとの再会 Page8

     ――原口さんに食べてもらう分は、ウチに置いてあった男モノの食器に盛り付けた。 この食器は潤と付き合っていた頃、この部屋に入り浸(びた)っていたアイツのために買い揃(そろ)えてあったものだ。 アイツとは別れてしまったけれど、物に罪(つみ)はないので食器は捨てずに置いてあった。 果たして、これを見た時に原口さんはどんな反応をするんだろうか? 私を〝未練たらしい女〟だと思うだろうか――?「――あ」 原口さんがサッパリした顔でダイニングに戻ってきた。「洗面所お借りしました。――シェーバーがないのは……仕方ないですよねえ」「あるワケないじゃないですか、そんなの」 私は真顔でツッコんだ。女の一人暮らしでしかも、この二年間男性が(父も含めて)この部屋に泊まっていったことなんてないのだから。「ですよねえ。ああ、僕ヒゲは濃くないので大丈夫です」 何が「大丈夫」なんだかよく分からないけれど、彼が納得しているならそれでいいか。「――じゃ、座って下さい。ゴハン食べましょう、ね」 私と原口さんは二人掛けテーブルに向かい合わせで座り、二人で「いただきます」と手を合わせてから食べ始めた。 ……のはいいとして。やっぱりというか何というか、原口さんから男モノの食器(主にお茶碗(わん)と箸)についてツッコまれた。「そういえば、どうしてこの部屋に男モノの食器が置いてあるんですか? 先生って一人暮らしですよね。お皿やグラスはともかく」 友達や家族がよく遊びに来るし、原口さんだって仕事でちょくちょく訪(たず)ねてくるので、お皿やグラス・カップ類が多くストックしてあるのは不思議に思われなかったらしい。「ああ。それ、元々は潤のために買い揃えてあったんですけど。物に罪はないし、捨てるの勿体ないでしょ? まだ使えるのに」 我ながら、言っていることが所帯(しょたい)じみているなと思う。結婚どころか同棲(どうせい)している彼氏もいないのに、主婦みたいだ。「――そんなことより、味はどうですか?」 彼に私の手料理を食べてもらうのは初めてなので、お味噌汁をすすっている彼に感想を訊いた。「うまいっす。先生って家庭的なんですね。料理は上手だし、片付けも得意みたいだし」「いえいえ! そんな」 私は恐縮したけれど、内心ではすごく嬉しかった。……ただ、「先生って〝意外と〟家庭的」と言われ

    Last Updated : 2025-03-06
  • シャープペンシルより愛をこめて。   4・縮まる距離、そして元カレとの再会 Page9

    「うちの母も、よく二日酔いになる父のためにシジミ汁を作ってました。私が料理上手なんだとしたら、きっと母に似たんだと思います」「なるほど、そうなんですか。――お父様のご職業は?」 原口さんから、私の家族のことを訊かれたのも初めてだ。なんだかお見合いの時みたいな(経験はないけど)妙な気分になる。「父は大手商社に勤(つと)めるサラリーマンです。原口さんと一緒で下戸なんですけど、接待とか仕事上のお付き合いとかで飲まされることが多いらしくて……。会社員の人って大変ですね」 原口さんも同じ会社員だ。業種こそ違うけど、少なからずお父さんにシンパシーを感じたらしく、「はい」と頷いている。「私も父から、『作家なんて安定しない仕事なんだから、もっと実直な進路(みち)を選べ』って昔言われたんです。高校生の時だったと思いますけど」「そうですね……。確かに、無事デビューできても安定して売れ続ける作家さんは数少ないと思います」「でも昨日、私がバイトしてる本屋で私の最新刊、発売初日で入荷(にゅうか)した分が完売したんですよ! すごいと思いません!?」 私だって天狗(テング)にはなりたくないけれど、これだけは胸を張って言いたかった。「初日入荷分が完売!? それはすごいことですよ! もしかしたら重版されるかも」「でしょ!? だから私、自分の仕事に誇(ほこ)りを持ってるんです。父も最近は、私が作家でいることを認めてくれてるみたいで」「よかったですね、先生」「はい」 家族に内緒で作家をしているよりも、家族に応援してもらいながら執筆の仕事ができる方が断然いい。 ――昨夜から私と原口さんの距離が、ほんの少し縮(ちぢ)まった気がする。 私は原口さんの今まで知らなかった面を、原口さんは私の過去や家族のことを知れた。 本当にほんの少しだけど、彼に近付くことができたと思ってもいいのかな……?

    Last Updated : 2025-03-06
  • シャープペンシルより愛をこめて。   4・縮まる距離、そして元カレとの再会 Page10

    「――あっ、ねえ原口さん。ちなみに玉子焼きは甘いのとしょっぱい系、どっちが好(す)きですか?」 そういえば、彼の食べ物の好(この)みだって知らなかったな。この際(さい)だから、思い切って訊いてみようっと。「しょっぱい方ですね。甘いものは好きなんですけど、玉子焼きの甘いのだけは好きじゃなくて」「えっ、ホントに? 私もなんです! お寿司屋さんでも玉子は頼まないんですよね。甘いから」 すごい、何たる偶然! いや運命!? こりゃテンションも上がるってもんだ。「今度原口さんがウチでゴハン食べる時は、玉子焼き作りますね!」 別に「またウチに泊まっていって」っていう意味じゃなく、あくまでもお腹をすかせていたら放っておけないから。「本当ですか? 楽しみにしてます」 すると彼がフニャリと笑った。心からの喜びが現(あらわ)れたその笑顔に、私のハートは鷲(わし)掴(づか)みにされてしまう。――「楽しみ」って言われた! なんか急に原口さんの彼女になったみたい!「そそそそ、そんな! 楽しみにしてもらえるほどのものじゃないですけど。頑張って作りますね」 照れをごまかすため、私はすごい勢いで食べ進める。「……なんか、こういう朝の風景っていいですよね。〝共働きの新婚家庭〟みたいで」「はい……」 ほのぼのと言う原口さんに、私も思わず同意する。いつか、彼の言葉が現実になったらいいんだけどな……。「――ごちそうさまでした」 気がつくと、原口さんは朝ゴハンをきれいに平らげていた。「原口さん、ゴハンのお代わりは?」 私はもうお腹いっぱいだけれど,彼は遠慮しているだけなんじゃないかと思い、一応訊ねてみる。「いえ、もう十分頂きましたから。ありがとうございます」「そうですよね」 彼の分のゴハンが入っていたのは男モノの大きめのお茶碗だ。二日酔いでそれ一杯分食べたら十分だろう。 私が二人分の食器を流しに運び、手早く洗いものを済ませている間に、原口さんも帰り支度を済ませていた。「じゃあ、僕はそろそろ失礼します」 カバンを手に、彼は玄関へ。私も出勤時間までには少し時間があるので、彼を見送ることにした。「蒲生先生の件は、島倉編集長とよく相談してどうにか解決します。なので先生は心配なさらずに、ご自分のお仕事に集中して下さいね」「はい、分かりました。――あの、どうなったか、私

    Last Updated : 2025-03-07
  • シャープペンシルより愛をこめて。   4・縮まる距離、そして元カレとの再会 Page11

     玄関のドアがパタンと閉まる。少しだけ新婚気分に浸(ひた)っていた私は、現実に引き戻された。 時刻はもうじき八時半。そろそろ家を出ないとバイトに遅刻する。「――よしっ! 行くぞ!」 仕事着の上から薄手のカーディガンを羽織ると、気合いを入れるために両方の頬をパンッと叩いた。 トートバッグを提げ、仕事用の黒いスニーカーを履いて、キチンと戸締りをすると朝の爽やかな空気を吸いこみ、町へと飛び出して行った。 書店へ向かう道すがら、私は考えていた。 私は多分、自分の気持ちをうまく隠せていないから、原口さんにも私の想いはダダ漏れだと思う。……じゃあ原口さんは? 今のところ、彼が私のことを一人の女として見てくれているかは微妙なところ。それに、琴音先生との関係だってハッキリしないままだ。 私はこの恋に、望みを持っていてもいいのかな――?   * * * * ――その日から、私はバイト中にクレームを言われる回数が激減(げきげん)した。  お客様にご迷惑をかけてしまうことも少なくなり、清塚店長は私の働きぶりを温かい目で見守って下さるようになった。秘密のパソコン特訓が、功(こう)を奏(そう)しているらしい。「――奈美ちゃん、このごろ仕事が早くなったんじゃない?」  数日後。久しぶりにシフトが一緒になった由佳ちゃんが、バイト帰りに私をそう評価してくれた。「そうかなぁ? ……いやいや! 私なんかまだまだだよー」  謙遜はしたものの、やっぱり喜びは隠せない。 今日もお客様からご予約のあった商品の確認をお願いされたけれど、私は数日前と違って一人でどうにかやり遂(と)げることができた。「店長も、奈美ちゃんのこと見直してくれたみたいだし?」「うん。そうみたい」「恋の力って偉大(いだい)だよねえ……」「…………」 うっとりと言う由佳ちゃんに、私は絶句(ぜっく)した。思いっきり図星だったからである。 別に私は原口さんのために頑張っているわけじゃないけど。彼が間接的に私の頑張りの原動力(みなもと)になっていることは間違いないから。「最新刊も初日に完売だったしねー」「うん。おかげさまで、早速重版かかったって」「重版!? スゴいじゃん!」 由佳ちゃんが目をまん丸くした。それ以上に驚いたのが、誰でもないこの私だった。  昨夜、原口さんから電話がかかってきたの

    Last Updated : 2025-03-07

Latest chapter

  • シャープペンシルより愛をこめて。   後日談・二ヶ月後…… Page16

    「バレました? 実はそうなんです。僕ももっと早く先生にお話しするつもりだったんですけど、先生が喜ばれるかどうか心配で。僕よりも映画のプロの口から伝えていただいた方が説得力があるかな……と」「はあ、なるほど」 私も自分が書いた作品の出来(でき)には自信があるけれど、「映画化するに値(あたい)するかどうか」の判断は難しい。そこはやっぱり、プロが判断して然(しか)るべきだと思うのだ。「僕は先生がお書きになった原作の小説を読んで、『この作品をぜひ映像化したい!』と強く思いました。それも、アニメーションではなく、生身(なまみ)の俳優が動く実写の映画にしたい、と。それくらいに素晴らしい小説です」「いえいえ、そんな……。ありがとうございます」 私は照れてしまって、それだけしか言えなかった。自分の書いた小説をここまで熱を込めて褒めてもらえるなんて、なんだかちょっとくすぐったい気持ちになる。それも、初対面の男性からなんて……。「――あの、近石さん。メガホンは誰がとられるんですか?」 どうせ撮ってもらうなら、この作品によりよい解釈をしてくれる監督さんにお願いしたい。「監督は、柴崎(しばさき)新太(あらた)監督にお願いしました。えー……、スタッフリストは……あった! こちらです」 近石さんが企画書をめくり、スタッフリストのページを開いて見せて下さった。「柴崎監督って、〝恋愛映画のカリスマ〟って呼ばれてる、あの柴崎監督ですか!?」 私が驚くのもムリはない。私と原口さんは数日前に、私の部屋で彼がメガホンをとった映画のDVDを観たばかりだったのだから。「わ……、ホントだ。すごく嬉しいです! こんなスゴい監督さんに撮って頂けるなんて!」「実は、主役の男女の配役ももう決まってまして。あの二人を演じてもらうなら、彼らしかいないと僕が思う演者(えんじゃ)さんをキャスティングさせて頂きました」 近石プロデューサーはそう言って、今度は出演者のリストのページを開いた。「えっ? ウソ……」 そこに載っているキャストの名前を見て、私は思わず声に出して呟いていた。「……あれ? 先生、お気に召しませんか?」「いえ、その逆です。『演じてもらうなら、この人たちがいいな』って私が想像してた通りの人達だったんで、ビックリしちゃって。まさにイメージにピッタリのキャスティングです」 こん

  • シャープペンシルより愛をこめて。   後日談・二ヶ月後…… Page15

    「いえ、僕もつい今しがた来たところですから」「あ……、そうでしたか」 TVでもよく見かけるイケメンさんに爽やかにそう返され、私はすっかり拍子抜け。――彼が敏腕(びんわん)映画プロデューサー・近石祐司さんだ。「先生、とりあえず冷たいお茶でも飲んで、落ち着いて下さい」「……ありがとうございます」 原口さんが気を利かせて、まだ口をつけていなかったらしい彼自身のグラスを私に差し出す。……私は別に、彼が口をつけていても問題なかったのだけれど。 ……それはさておき。私がソファーに腰を下ろし、お茶を飲んだところで、原口さんがお客様に私のことを紹介してくれた。「――近石さん。紹介が遅れました。こちらの女性が『君に降る雪』の原作者の、巻田ナミ先生です。――巻田先生、こちらはお電話でもお話しした、映画プロデューサーの近石祐司さんです」「巻田先生、初めまして。近石です」「初めまして。巻田ナミです。近石さんのお姿は、TVや雑誌でよく拝見してます。お会いできて光栄です」 私は近石さんから名刺を頂いた。私の名刺はない。原口さんはもう既に、彼と名刺交換を済ませているようだった。「――ところで原口さん、さっき『君に降る雪』って言ってましたよね? あの小説を映画化してもらえるってことですか?」 その問いに答えたのは、原口さんではなく近石さんの方だった。「はい、その通りです。

  • シャープペンシルより愛をこめて。   後日談・二ヶ月後…… Page14

    「――どうでもいいけどさ、奈美ちゃん。早くお弁当(それ)食べちゃわないと、お昼休憩終わっちゃうよ?」「えっ? ……ああっ!?」 壁の時計を見たら、十二時五十分になっている。ここの従業員のお昼休憩は三十分と決まっているので、残りの休憩時間はあと十分くらいしかない! 慌ててお弁当をかっこみ始めた私に、由佳ちゃんがおっとりと言った。「奈美ちゃん、……喉つまらせないようにね」   * * * * ――その日の終業後。「店長、お疲れさまでした! 由佳ちゃん、私急ぐから! お先にっ!」 清塚店長と由佳ちゃんに退勤の挨拶をした私は、ダッシュで最寄りの代々木駅に向かった。 原口さんは、近石プロデューサーが何時ごろにパルフェ文庫の編集部に来られるのか言ってくれなかった。電車に飛び乗ると、こっそりスマホで時刻を確かめる。――午後四時半。近石さんはもう編集部に来られて、原口さんと一緒に私を待ってくれているんだろうか? 私は彼に、LINEでメッセージを送信した。『原口さん、お疲れさまです。今電車の中です。近石さんはもういらっしゃってますか?』『いえ、まだです。でも、もうじきお見えになる頃だと思います』 ……もうじき、か。神保町まではまだ十分ほどかかる。先方さんには少し待って頂くことになりそうだ。私が編集部に着くまでの間、原口さんに応対をお願いしようと思っていると。 ……ピロリロリン ♪『ナミ先生がこちらに着くまで、僕が近石さんの応対をします。だから安心して、気をつけて来て下さい』 彼の方から、応対を申し出てくれた。『ありがとう。実は私からお願いするつもりでした(笑)』 以心(いしん)伝心(でんしん)というか何というか。こういう時に気持ちが通じ合うって、なんかいいな。カップルっぽい。……って、カップルか。 ――JR山手線(やまのてせん)の黄緑色の電車はニヤニヤする私を乗せて、神保町に向かってガタンゴトンと走っていた。   * * * * ――それから約十五分後。 ……ピンポン ♪ 私は洛陽社ビルのエレベーターを八階で降り、猛ダッシュでガーネット文庫の編集部を突っ切っていった。「おっ……、遅くなっちゃってすみません!」 奥の応接スペースにはすでに原口さんと、三十代半ばくらいの短い茶髪の爽やかな男性が座っている。私は息を切らしながら、まずはお待た

  • シャープペンシルより愛をこめて。   後日談・二ヶ月後…… Page13

    「どしたの? 奈美ちゃん」「うん……。彼からメッセージが来てるの。えーっとねえ……、『お疲れさまです。このメッセージを見たら、折り返し連絡下さい』だって」 LINEアプリのトーク画面に表示されている文面はこれだけで、肝心(かんじん)の用件は何も書かれていない。「何かあったのかなあ? 返信してみたら? 『どんな用件ですか?』って」「返信より、電話してみるよ。その方が早いし」 私は履歴から彼のスマホの番号をタップし、スマホを耳に当てた。『――はい、原口です』「巻田です。なんかさっき、メッセージもらったみたいなんで折り返し電話したんですけど。たった今気がついて」『ああ、そうなんですか。――今日はお仕事ですか?』「はい。今はお昼休憩中なんですけど。――何かあったんですか?」『はい。えーっと、映画プロデューサーの近石(ちかいし)さんという方から、「巻田先生にお会いしたい」ってお電話を頂いて。今日の夕方に編集部でお会いすることになったんで、連絡したんです』「映画プロデューサーの近石さん……、あっ! もしかして、近石祐司(

  • シャープペンシルより愛をこめて。   後日談・二ヶ月後…… Page12

     ――数日後。今日のバイトは久々に由佳ちゃんと一緒のシフトになった。 新作の原稿も順調に進んでいるし、原口さんとの関係も良好。ここ最近の私は公私(こうし)共(とも)に充実している感じだ。「――客足も落ち着いてきたね。二人とも、お昼休憩に行っておいで」 正午を三十分ほど過ぎた頃、清塚店長が私達アルバイト組に休憩をとるように言ってくれた。「「はい。行ってきます」」 休憩室の机の上にお弁当を広げ、由佳ちゃんとガールズトークをしながらのランチ。この日も当然、そうなるはずだった。……途中までは。「――そういえば、最近どうなの? 五つ上の編集者さんの彼氏とは」 由佳ちゃんは最近、私の恋愛バナシにご執心(しゅうしん)みたいだ。「うん、順調だよ。――由佳ちゃんの方は?」 私はお弁当箱の中の玉子焼きをお箸でつまみながら答え、今度は私から由佳ちゃんに水を向けた。「うん……。彼とはねえ、最近連絡取ってないの」「えっ? ケンカでもしたの?」 少し前まで幸せそうだったのに。予想外の答えに私は目を丸くした。「ううん、そうじゃないんだけどね。彼、最近忙しいみたいで……」 由佳ちゃんの彼氏は中学校の教師で、私の予想では多分三年生を受け持っている。「そっか……。でも、中学校の先生だったら今ごろはきっと、ホントに忙しいんだろうね。文化祭の準備とかテストとかで」 私はさり気なくフォローを入れる。それに、三年生の担任だったりしたらきっと、生徒の進路の相談に乗ったりもしているんだろうから、さらに忙しいだろうし。「少し時間が空いたら、彼からまた連絡くれると思うよ。だから、彼のこと信じて待つしかないんじゃない?」「……そうだね。あたし、彼のこと信じる」 さっきまでちょっと元気のなかった由佳ちゃんは、食べかけでやめていたコンビニのエビマヨのおにぎりをまたモグモグし始めた。「――にしても、奈美ちゃんはいいなあ。仕事でも私生活(プライベート)でも、大好きな人と一緒なんでしょ? 『離れたらどうしよう?』なんて心配はなさそうだし」 冷たい緑茶でおにぎりを飲み下した由佳ちゃんが、羨ましそうに私に言った。「うん……、まあね。逆に言えば、プライバシーもへったくれもないってことになるんだけど。別に私は困んないし」 むしろ四六時中(しろくじちゅう)彼と一緒にいられて幸せだから、私はそ

  • シャープペンシルより愛をこめて。   後日談・二ヶ月後…… Page11

       * * * * ――翌朝、原口さんはバイトに出勤する私に合わせてわざわざ早く起きてくれたので、一緒に朝ゴハンを食べた。今日のメニューは白いゴハンに焼き鮭(ざけ)、キュウリとナスの浅漬け、そしてきのことカボチャのお味噌汁。秋が旬の食材をふんだんに使ったメニューだ。 たまには洋食の朝ゴハンにしようかとも思うのだけれど、原口さんは和の朝食がお好みらしい。「――そういえば、ナミ先生って和食以外もよく作るんですか?」 ゴハンをお代わりしながら、彼が訊いた。……あ。そういえば彼がウチで食べる料理ってほとんど和食だ。洋食系のメニューって食べてもらったことあったっけ?「うん、作りますよ。中華とかカレーとかも。でも、さすがにハヤシライスは作ったことないなあ」 昨日のデートで、彼と一緒にカフェで食べたハヤシライスはおいしかった。……でも、自分で「作ってみたい」とまでは思わない。私は創作の面では結構攻めるタイプだと思うけれど、どうも他の面では守りに徹(てっ)するタイプみたいだ。 そういえば恋愛でもそうだった。原口さんのことが好きだと気づいた時だって、自分からはグイグイ行かなかった……と思うし。「――僕、ナミ先生が作ってくれる和食大好きなんですけど。たまには洋食系のメニューも食べてみたいなあ……なんて。……すみませ

  • シャープペンシルより愛をこめて。   後日談・二ヶ月後…… Page10

       * * * * ――結局、彼はやっぱり泊っていくことになった。 洗い物を済ませてから二人で交代に入浴し、寝室で甘~~い時間を過ごしたら、私は無性に書きたい衝動(しょうどう)にかきたてられた。「――ゴメンなさい、原口さん。私、これからちょっと仕事したいんですけど。机の灯りつけてても寝られますか?」 私が起き上がると、彼は「仕事って、執筆ですか?」と訊き返してくる。「そうです。眩しいようだったら、ダイニングで書きますけど」「いえ、僕のことはお気になさらず。……ただ、明日出勤でしょ? あんまり遅くまでやらないようにして下さいね」「うん、ありがとうございます。キリのいいところまでやったら、適当に寝ます。だから気にせず、先に寝てて下さい」 私はベッドから抜け出して、部屋着の長袖Tシャツの上からパーカーを羽織り、机に向かった。書きかけの原稿用紙を机の上に広げ、シャープペンシルを握る。 ノートパソコンは、相変わらずネットでしか稼働(かどう)していない。タイピングの練習は、時間が空いた時だけやっている。でも、パソコンで執筆する気にはやっぱりなれない。 原稿を書きながら、数時間前に観た映画のラブシーンとついさっきまでの彼との濃密(のうみつ)な時間を思い出しては、一人で赤面していた。私が書いている恋愛小説は濃厚(のうこう)なラブシーンが登場するようなものじゃなく、主にピュアな恋愛を描いているものがほとんどなのだけれど。 私の恋は、小説やTVドラマや歌の世界を地(じ)でいっている気がする。 潤のことも、もちろん本気で好きだった。だから、「小説家なんかやめろ」って言われてすごく傷付いたんだと思う。「どうして好きな人に応援してもらえないの?」って。 でも、原口さん相手ほどは燃えなかったなあ。こんなにどっぷり好きになった相手は、多分彼が初めてだ。そして、ここまで愛されているのも。 だって彼は、私のことを丸ごと愛してくれているから。私のダメなところも全部認めてくれて、決して貶さないし。……こんなに出来た彼氏は他にいないと思う。 ――集中してシャーペンを走らせ、原稿用紙十五枚を一気に書き上げると、時刻は夜中の十二時過ぎ。いつの間にか日付が変わっていた。「ん~~っ、疲れたあ! そろそろ寝よ……」 私はシャーペンを置き、思いっきり伸びをした。ふと、後ろのベッド

  • シャープペンシルより愛をこめて。   後日談・二ヶ月後…… Page9

    「――さて、と。まだ時間も早いですけど、DVDでも観ます?」 私はソファーから立ち上がると、ミモレ丈(たけ)のデニムスカートの裾を揺らしてTVラックの所まで行き、彼に訊ねる。 今日は映画を観てきたけれど、この部屋の中での時間の潰し方は限られる。TVを観るか、DVDを観るか、仕事するか。それとも…………。「いいですけど。ちなみに、どんなジャンルですか?」「ワンパターンで申し訳ないんですけど、恋愛映画……。洋画と邦画、どっちもありますけど」 これでも恋愛小説家である。他の作家さんの恋愛小説だけでなく、時にはコミックやTVドラマ・映画などを作品の参考にすることもあるのだ。そういう意味で、恋愛映画のDVDは資料としてこの部屋には豊富に揃(そろ)っている。「じゃあ……、邦画の方で」「了解(ラジャー)☆」 私が選んだのは、〝恋愛映画のカリスマ〟と名高い若手映画監督がメガホンをとった映画。今日観て来た映画とは違う、ドラマチックな演出をすることで有名な人の作品だ。 ――でも見始めてから、この作品を選んだことを後悔した。「「わ…………」」 途中で際(きわ)どいラブシーンが流れて、何となく気まずい空気になったのは言うまでもない。 あまりにも生々しすぎるラブシーンを直視できず、TV画面から視線を逸らしてチラッと隣りを見遣れば、原口さんは瞬(まばた)きひとつせずに画面に釘付けになっていた。 ……目、大丈夫かな? ドライアイにならない? 私は彼の顔の前に手をかざして上下に動かしてみる。「お~い、起きてますかぁ?」「…………ぅわっ!? ビックリした!」 ハッと我に返った彼のガチのビックリ顔がおかしくて、私は思わず吹き出した。「ハハハ……っ! めっちゃ見入ってましたねー」「スミマセン」 お家デート中に彼女の存在そっちのけで映画に見入っちゃうなんて、なんて彼氏だ。……まあでも、面白いものが見られたからよしとしよう。「――あ、終わった。ちょっと刺激強すぎたかな……」 映画は二時間足らずで終わった。プレイヤーから出したディスクをケースに戻し、次に観る時はもう少し刺激の少ない映画にしようと思った。「お風呂のお湯、入れてこようっと。――先に入りますか?」 この調子だと、今日も彼はこの部屋に泊まっていくことになりそうなので、私はバスルームに向かいがてら彼に訊ね

  • シャープペンシルより愛をこめて。   後日談・二ヶ月後…… Page8

    「原口さんだって、もうちょっと広い部屋の方が落ち着けるでしょ? ベッドだって狭いし」「だったら、ベッドだけシングルからセミダブルに変えたらいいんじゃないですか?」 彼の提案は身もフタもない。せっかく「あなたの部屋の近くに引っ越したい」って言うつもりだったのに。「ここの寝室は狭いから、セミは置けないんです。だからどっちみち引っ越すことになるの。……まあ、狭いベッドの方が、ベッタリくっついていられるから私もいいんですけど」「そっ……、そういう意味で言ったんじゃ………」 ちょっと意味深な視線を送ると、彼は真っ赤になって慌てた。私より恋愛慣れしているわりには、結構ピュアだったりするのだ。「冗談ですって。でも、引っ越すなら赤坂の方の物件がいいな。原口さんのお部屋の近く」「え……」「その時は、お手伝いよろしく☆」「…………はい」 私の方が年下なのに、彼は腰が低いというか、立場が弱いというか……。私に何か頼まれると、「イヤです」とは言いにくいらしい。話し方だって、未だに敬語が抜けないし。 しばらく話し込んでいたら、マグカップに入っていたミルクティーはもうほとんど飲み終えつつあった。私は彼の肩にそっと頭をもたげる。「――あ、そういえば美加が、『いつ結婚式の予約入れてくれるの?』って言ってたんですけど」「美加さんって……、こないだ取材させて頂いたウェディングプランナーのお友達ですか?」

Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status